石割隆喜氏(文学研究科准教授)

 

言葉を読めるってことは、自分とは違う世界に開かれている道があるってことに気がつくためだと、
もっと考えてもらってもいいかなって思うわけですよ。

 

プロフィール

石割先生

1970年生まれ。大阪外国語大学外国語学部(英語学科)卒、大阪大学大学院文学研究科博士課程(英文学専攻)修了。博士(文学)
(大阪大学、1999)。大阪外国語大学助手、同講師、同教授、同准教授を経て、2007年10月より大阪大学大学院文学研究科准教授。
研究は小説論的視座からピンチョン並びにポストモダン文学を捉えなおす研究を行っている。

 
 

インタビュー

先生はポストモダン小説を研究されていますが、ポストモダン小説とはどのようなものですか?
 ポストモダンというのは、時代的に言うと’60年代後半頃からの主に西洋に起こった新しい文学の運動。ポストモダン以前の小説は、こう人間のきれいな表の面だけじゃなくて人間の裏の面も含めた人間の真実を書ききるものだっていうのが、わりと中心的な考え方だった。それが西洋ではリアルな人間の姿を書くんだっていうリアリズムで、日本だったら純文学という風に呼ばれる。
 当時、リアリズムの作家は言葉を使って人間の本質とか真実とか現実のあるがままを書けると思っていた。言葉は透明であればあるほどいいと思っていた。言葉が介在することによって人間がゆがめられるという考え方はダメだと思っていた。だけどポストモダンの作家は、言葉自体がものとしての性質を持っていて、だから言葉は透明な媒体ではなくて、むしろ不透明だと思った。そして、言葉が透明で人間の真実を、現実のありのままを書けるというのは実はうそじゃなかったのかと、そう主張したんだ。それで、ほぼ言語遊戯、言葉遊びみたいなのを前面に押し出して、これまで主流の小説の書き方がすべてじゃないよって示そうとした。
 こうした問題を提示した文学の運動がポストモダンかな、簡単に言うと。

本棚についての思い入れをお聞かせください。
 本棚ねぇ……。いつかは、作り付けの本棚がある書斎が欲しい。本棚をさあ、家具屋さんで買ってきて部屋に置くんじゃなくて、壁と一体になってる、部屋と一体になってるっていう、そういう本棚が欲しい。

ここにある本って大体どのくらい読まれたんですか。
 いやいや、読んでないほうがそりゃ多いよ。本棚っていうのは、読むかもしれないものを一時的に置いておくっていう、そういうものかもしれない。読み終わった本も置いておくけども、いずれ必要になるだろうっていうので置いておくっていう面もあるかな。百科事典を全部読まないのと同じで。必要な時に調べられるように持っとくっていう感じで、いずれ読むときのために置いておく。

僕はこれからは文学の本を読んでみたいと思うんですが、どのような本から読んでいけばいいんでしょうか。
 まず、一番現実的なのは、なんか気になったものをとにかく読んでみるっていうのですかね。例えばSF読みながら、何か言及があるとか、その作家が影響を受けている文学作品とかさ。誰かに聞くとかも、もちろんいいけどもね。
 あともう一つは古典を読む。古典っていうのは名作って風に言われている作品を読む。岩波文庫全部読むとか。これは極端だけども(笑)。ほんとに何でもいい。中高の国語の教科書を読みなおすのもいいし、授業中に先生がちらっと言った作品とか読むのもいいし。
 言葉を読めるってことは、自分とは違う世界に開かれている道があるってことに気がつくためだと、もっと考えてもらってもいいかなって思うわけですよ。これは僕が外国語学部の人間だからかもしれないですね。言葉って自分が好きなものだけを取ってきてくれる網みたいものじゃなくて、それがあることによって、良かれ悪しかれ自分とは違うものにも連れて行ってくれるっていうそういう面がある。その他者につながっている面にもっと目を向けて欲しいなと。違う考え方の話に耳を傾けるって、文学やるっていうことの一番大事な点ってそれかなって。自分が自然に手を伸ばすもの以外のものも読んでみたらどうですかっていう。違うものに耳を傾けて読んでみる、他者の視点になって物事や世界を見てみる。文学を読むってそういうことかなって最近思うんですよね。

 

◎学生向けのオススメ本

フラニーとゾーイー(著:J・K・サリンジャー 訳:野崎孝)
フランケンシュタイン(著:メアリー・シェリー 訳:森下弓子)
大衆の反逆(著:オルテガ 訳:寺田和夫)

◎先生自身のお気に入りの本

Gravity’s Rainbow(著トマスピンチョン)

文:イシカワ/理学部B1


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