さいえんする手記

僕は方向音痴である。
何度も通う道ならいざ知らず、初めて行く道は、行きは良いものの、帰りは外に出た瞬間に、自分がどこにいるのかわからなくなってしまう。見た目が違うだけで変わってなどいないのに、まるでその空間が変わってしまったかのように感じる。どちらの方向に行けば元に戻れるかもわからない。そんな風に見えるのが、自分にとっては不思議でならない。

なぜそんなに見違えて見えるのかと考えてみると、僕はそれが元の場所だと「当たり前」に考えられていないのではないかと、最近、ふと思った。

当たり前。人はよく「当たり前」に思う。でも、「当たり前」というのは、なぜ「当たり前なのだろうか」と僕は不思議に思う。「当たり前に思う」ということは、何の不思議なく思うということだろう。どこに何の不思議さがないというのだろうか?例えば太陽が東から上ることは至極当り前ではあるが、その「当たり前」はどうして当たり前なのだろうか?

世の中に何が起きて「当たり前」なんて言えるのだろうか?物事の背景には自然法則があり、その自然法則の背景にもまた法則が存在する。そのどの法則も、巧妙な約束事の上に成り立っているらしく、それはなんの「当たり前」さえない。深淵で複雑で、面倒な理由が転がっているのだ。だから、僕はこの世の中に、「当たり前」なんていうものはないような気がするのだ。

それでも僕らは、そんなことをいちいち考えてもいられない。他に考えるべきことは山積みで、だから帰納法的に「当たり前」であることで、何気なく生活していくのだ。

でも、どうやら僕は、そんな「当たり前」に疎いらしく、何もかもが不思議に思えるし、見え方が変わっただけで、その世界を「見え方の異なる世界」として変わって見えてしまう。

それが良いことのなのか、はたまた悪いことなのか。僕にはわからないけれど、

今日も今日とて、僕は道に迷っている。

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