橋爪節也先生(研究・教育部資料情報研究系教授)


プロフィール

専門は日本近世・近代美術史。 1958年大阪市生まれ、東京芸術大学大学院修了。大阪市立近代美術館建設準備室主任学芸員などを経て現職。 美術史にとどまらない観点から近世・近代大阪を探究。 編著書に、『モダン道頓堀探検』、『大大阪イメージ』ほか。
 
 

インタビュー

本日はよろしくお願いします。
まずは、大阪大学総合学術博物館の新館長として、今後の博物館をどのように発展させていくのかを伺いたいのですが。

3代目の館長なんです。それで、今まで作ってきて。初代、2代目の作ってこられたことを引き継ぎつつ。
博物館には「新館構想」というものがあって。つまり新しい館をあそこに建てたいというのが前からあるんですよ。
修学館って見てもらったらわかるけど狭いでしょ?自由な展覧会をするには、幅が狭くて限界がある。今やってる展覧会も含めてね。
また、大阪大学会館も綺麗になったけど、修学館と行き来するのもしんどいんですよ。

確かに。

作った模型の通りに行くかはわからない、別問題としてだけど、整備していったほうがいい。学生にとっても教職員にとっても都合のいい形で。
それ以外にも、修学館に収蔵庫ができるんですよね。適塾の資料を入れるための。
まあちょっとずつできていくの・・・だが。その先、どうなるかは・・・大変やね。今、予算のことでいろんな所が金ばっかりやから。
それで、博物館には登録博物館、とかのランクがあるんですよ。博物館には、「登録博物館」「博物館相当施設」「博物館類似施設」とがあるんですよ。それぞれ、国の基準を満たしたら、認定される。地方自治体を通して、国へ申請して認定されるんですわ。条件は厳しいけどね。「登録博物館」ってのはすごい難しい。

ちなみに阪大は?

なってないよ。大学博物館で、「相当施設」になってるのが京大とかじゃなかったかな。阪大も「相当施設」くらいにはしたい。ちゃんと、収蔵庫があるか、とか。展示室がちゃんとしてる、とか。特別展から、開館してる日にちまですべてが審査対象になる。
博物館て一般的に基礎的な部屋って絶対いるんですよ。マンション買うときには、台所、寝室、風呂、物置って基本的な部屋って有るでしょ?そのうち、どっか基本的な部屋があるところだけ肥大しているとかはあかん。例えて言えばね。部屋数やたら多いけど、トイレがないとか。博物館に必要なのは、展示室、収納庫、写像する部屋とか、研究部屋もあるし、・・・あと例えば、トラックで物入れるときのトラックヤードとか。うち(阪大)っていきなり外でしょ?普通は、トラックが入って、シャッターを閉めてトラックごと収納して開封するから、外気をシャットアウトしていれられる。これがうちには無い。こんな風にない部屋ってのがいくつか有るわけや、うちには。

収蔵庫も、収蔵するものによって3つくらい分かれていたほうがいいとかね。温湿度の設定が物によって違うんですよ。
冬は乾燥したらヒビ入ってくるから漆のやつはどうする、とかね。
これら色々考えて自由にレイアウトできる企画展の会場があればいい。ガラスケースが全種類あるとか。これが難しい……掛け軸をかけるためにはガラスケースが要るわけや。この下の階にあるでしょ?ところが、油絵になったらいらないから前に壁を立てるとか。
阪大は対象としている分野が広いわけや。文系から理系まで行くと、何か展示物が均質っていうか……何でも展示できる部屋がないといけない。これが案外難しい。

橋爪先生の研究テーマである「大阪」についての特別展を過去に行いましたよね?あの時も結構気を使いましたか?

大大阪観光かな?あんまり…かな(笑)あれは見せ方の方を考えたかな。展示したものはこの部屋にありますわ。私の個人蔵だったから(笑)
修学館ってのが展示室になったでしょ?そんなに歴史があるわけじゃない。展示室になってからね。アレがどんな展示室になるかはやってみなければ分からないんですよ。実験じゃないけど。いろんな可能性は思いつくけど、実際に物を並べてみると思わぬことがわかってくる。例えて言うけど、新しい楽器を買った時、どんな音が鳴るかいろんな弾き方をするでしょ?あ、ここがこんないい音が鳴る、とかね。つまり今、修学館は一個の楽器なんですよ。あの楽器でいろんな曲を演奏してみて、一番良く映える、響く、鳴るかっていうのをね。今の展覧会はこれまでのやつと全然ちがうでしょ?体験型と言うか。展覧会ってどれも実験だと思う。実験的な気持ちで挑まないと、決まりきった形でやっても面白くない。

例えばね、修学館と待兼山と大学会館を結ぶような展覧会を考えてる。待兼山の遊歩道を第二展示室として組み込むようなね。この大学会館と修学館プラス待兼山が一個の楽器となってどんな音が鳴るのか、というところに行き着くわけです。なかなか壮大なイメージが湧くでしょ?そういうイメージで展覧会を考えるのが面白い。いっぺんやってみたいんやけど、あっちこっちでややこしくなるから(笑)山頂までのルートがどうのとか。今待兼山を登ったら遭難するでしょ?

面白そうなのでぜひ実現させて欲しいですね。

他にも待兼山をもし、お城にするならどういう縄張りにするか、とかさ。ワークショップみたいな。あなたも戦国大名みたいなんね。山頂を城にするとしたらどこに二の丸を、とか。他にも自然の観察をやってたりするし。何でもできるよ。

私が博物館とは縁のない学部生時代を送ってきたので、入学時から学生たちが足を運ぶような展覧会や企画を考えて欲しいです。

先生はいつから博物館に関わろうと思われたんですか?

ここに仕事があったからという素朴な話なんだけど(笑)本来は大阪市の近代美術館を建てるの仕事を18年やっていた。美術史でね。美術史の人間っていうのは就職先として、美術館関係、大学に残るか、画商をやってるとかいろんな人がいるけど。私は現場やね。美術館を建てる仕事。大阪市の近代美術館はなかなか建たんのですよ。また市長選挙がとか…

政治が絡みだすと難しくなりすね。つまり元々は美術館の仕事をしていた、と。

美術館と博物館は微妙に違うんだけど、阪大博物館といっても美術展もしてるし。私のポストというのは文学研究科の美術史から来たポストなので、このポストは必ず日本美術史になり、文学研究科に教えに行かなあかん。

では先生の研究内容についてお教えいただきたいのですが。

私はね、江戸時代の蒹葭堂と文人画の研究をしているんやけど、大阪の近代美術館の仕事もしていたから、近世、江戸時代の真ん中あたりから現代に近いとこまではとりあえず研究テーマになっていて。
本当はね、大きな研究テーマとして木村蒹葭堂の全集を出さないかんという使命があるのですが、全然できんのですわ。それから近大大阪の文化と言うか芸術というのは密かに。ああいうのって展覧会を開くとぐっと進んだりするのよね。展覧会を開くと資料が増えたりする。「うちの家にこの人のもんありますよ」とか。それと例えば、展覧会で「ピカソと仏像」というものをすれば、並んだことのないものを並べたときに何か新しくわかることもある。極端に言えば、同じ一人の作家が、同じモチーフの絵を書いたとして、よく似た作品が東京と九州にあったとしたら、展覧会を開いてそれを並べたときに違いがあわかるでしょ。

一番いい展覧会図録っていうのは、展覧会が終わってから作ったものが一番良い、と言われる。図録って展覧会やっているときに買うでしょ?でもその時には研究できていないわけよ。それまでの研究蓄積はあるけど、それで集めて持ってきて、終わってから書けば、もっと広がる余地がある。そういうもんなのよ。

それじゃあ先生が携わった展覧会の図録の中にも手直しをしたいものがあると?

いやもう全部です。手直さなきゃいかん。でも時間がない(笑)
展覧会だから図録書かせてくれるっていうのはあるでしょ?あんだけ図版全部載って、しかもオールカラーで。わがままに作らないともったいない。

研究者冥利につきるというところでしょうか。

そうそう。でも変な仰山作ったなぁ。
江戸時代も中国の影響を受けていたりする。中国絵画とかと比較しないといけない。

先程おっしゃっていた「ピカソと仏像」はとても面白いと思うのですが。

西ドイツとか行ったらあるんですよ。そういう美術館が。そこのコレクターが、現代美術と仏像とか古いものが好きだっていう人で。だから現代美術があって、隣に仏像があるという。こういう発想って新しいでしょ?そこにコレクターとかが入ってくるんですね。コレクターの審美眼によって変わってくる。何が好きかわからんもんね、人は。個人によって価値は違うから、これはおもしろい問題ですよ。

価値っていうのは人によって変化するものですが、我々には「何でも鑑定団」みたいな普遍的な価値付けに頼って判断するしかないと言うか。

まあ好きな人が多かったら高いし。昔好きな人が多かったけど今は減ってきてたりするとね。長谷川一夫の何だ!と言っても今の学生たちには「それってなぁに?」ってなるし。今やったらAKBがどうのこうのって言っていても50年後には「それってなぁに?」ってなってるでしょ。でもそういう時代の流れを乗り越えて生きてるものもあるかもしれないし。

資料集めは捨てられていくものを拾い上げる、時間との戦いですね。

僕らやったら近代の、戦前の大阪のことはしたけど。結局は古本屋にいったら売ってるんですよね。売ってるものを買ってたらしまいに集まった、というだけであって。じゃあどこに行ったらそれがあるのか、と。例えば阪大の学生がしたいってなったとき、じゃあどこに行けばいいのか?図書館に行ったらありますか、と言っても無い。だから誰かこういう資料を集めるバクテリアみたいな人がいないと。酵素に分解するみたいな。古本屋に行って、寄り集まってるいろんな本をより分けて分解するバクテリアがいる。

でも大学で必要なのは研究論文を書くのにあれがいる、ってなるけど、その前段階としてバクテリアみたいな人がいる。それが大変。
美術品のコレクターも一緒で、持ってる人が「見せたくない」といえばそれで終わりですから。なんでや、と言ってもその人が持ってるものだからしょうがない。

理系の実験してなんぼだという世界とは全く異なりますね。

展覧会っていうのは、「論文の可視化ではない」という。それやったら論文読んだほうが早いでしょ?博物館は一般の社会に向けても開かれているので、石橋商店街のおっちゃんが見に来て壁に論文が貼っとってもわからんわけや。それをどうやってその人に、わかりやすく伝えるかという点においては、論文の可視化といえば可視化やけども、非常にざっくりした形になるけども必要なことなわけや。ただそれを展覧会のことをあまり理解しなかったら、論文を貼ってあるだけ、となるわけ。

展覧会をやる人っていうのは「モノの力」を信用するわけよ。ここに一個のモノがある、ということがオーラを発するわけだ。それを上手いこと引き出して、一個の論文を展開して展覧会に作り変える。パネルの文字と写真だけじゃ意味がなくて、その素材とした岩石はこれか、と。この岩石はどこから見たらおもしろいか、ということが書いてあれば非常におもしろくなる。これが大事。

見せる技術というのがあるんだけど、私の自説であるんやけども、展覧会の技術というのは演奏会の技術と同じだと思ってる。例えばベートーベンの交響曲「運命」を誰がどこで演奏しても聞いてる人みんなが感動するのかと。こんな下手な「運命」を聞いたことが無い、というくらいに資料の見せ方が下手くそな奴はおるわけです。ただし、順番は間違っていませんとか、それは全然面白くない。

仮に修学館をホールと考えてみる。修学館全体がホール。あそこでできる演奏はここまで、という限界があるわけです。限界ギリギリまで引き出すのが、いまここに務めている者の「使命」であり「面白さ」であるわけよ。

展示一つでもポリシーや熱い思いがあるんですね。

あれはもう本当に技の世界ですよ。古い歴史資料の展示にしても、歴史だから年代順に並べたらいいだろうと言うものでもない。そういう考えはあるけどね。例えばね、大阪大学の歴史を展示するときに、順番で言えば、懐徳堂・適塾…と来るけど、これを帝国大学から昭和6年から始まって、最近実は源流は懐徳堂だったんだ!ときたら、いきなりがんっと古くなって「あぁぁ!!」「なぜだ!」ってびっくり感があるでしょ。

他にも、戦後生まれの人にしたら「帝国大学」ってだけでびっくりしたりね。今のキャンパスからウロウロしたら、大学会館みたいな古いところに連れ込まれて、これは浪高だ、とか。

如何にして見る人の感情を揺さぶるか、ですね。

本を作るときにも同じで、歴史順に書けばいいんだけど、大阪大学の源流が適塾や懐徳堂だと言われだしたのは最近なんですよ。そういう流れはあるんやけども、いろんな説がある。それやったら、帝国大学の歴史をやるなら、東京大学とかあっちの方に行かなあかんのちゃうかと。帝国大学という制度から行ったら全国区なんやし。適塾も懐徳堂も町人がやってるわけやから。商工会議所みたいな。ちゃうか。もっと民間の…とか言ってたらいろんな議論があって怒られたりするわけや(笑)

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